2019年8月17日土曜日

正教会 Orthodoxy - 日本人 Japanese Orthodox Web 1


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正教会 Orthodoxy

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ハリストス復活!実に復活!

Christ is Risen! Indeed, He is Risen!

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イエス・キリスト: 彼なくしてキリスト教とは言えないし、彼なくしてキリスト教の論理は通らない。 

Jesus Christ: Without Him there is not Christianity

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正教会とは About Orthodox Church

正教会は東方正教会とも呼ばれます。ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対し、キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がりました。

20世紀になり共産主義革命による迫害を受け、多くの信徒や聖職者が世界各地に散らばっていきましたが、その結果西ヨーロッパやアメリカをはじめ世界各地に教会が設立され、西方教会しか知らなかった人々にも伝道されるようになりました。現在では移民や亡命者の子孫だけでなく、カトリックやプロテスタントからの改宗者たちも大勢出るようになり、欧米主導の現代文明の行き詰まりとともに停滞する西方キリスト教に新鮮な刺激を与えています。

日本へは江戸時代末期、函館のロシア領事館づきの司祭として来日したニコライ(「亜使徒大主教聖ニコライ」として聖人の列に加えられています)によって伝道されました。

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キリスト教の土台

イイスス・ハリストス(イエス・キリストの日本正教会訳)の十字架刑による死と三日目の復活という出来事を「神による人間の救い」として直接体験し、その証人として世界中に伝えたお弟子たちのことを特別に「使徒」と呼びます。正教会はこの使徒たちの信仰と彼らから始まった教会のありかたを、唯一正しく受け継いできたと自負します。

正教会は中世西ヨーロッパの「スコラ神学」や近代の宗教改革とも無縁でした。キリスト教会は現在は多くの教派に分裂していますが、中世のある時期までは「一つの聖なる公なる使徒の教会」(ニケヤ・コンスタンティノープル信仰告白)としてほぼ一致していました。正教会はこの東西教会が一つにまとまっていた時代に、五世紀間にわたって合計七回開催された全教会の代表者たちによる会議(「全地公会議」325年~787年)で確認された教義や教会組織のあり方、教会規則、さらに使徒たちの時代にまでさかのぼることのできる様々な伝統を切れ目なく忠実に守り続けています。正教会と他の諸教会が「分裂」したのではなく、正教会から他の諸教会が離れていったというのが「教会分裂」の真相です。

教義的には、人間の理解をこえた事柄については謙虚に沈黙するという古代教会の指導者(聖師父)たちの姿勢を受け継ぎ、後にローマ・カトリック教会が付け加えた「煉獄」・「マリヤの無原罪懐胎」・「ローマ教皇の不可誤謬性」といった「新しい教え」は一切しりぞけます。またプロテスタントのルターやカルヴァンらのように「聖書のみが信仰の源泉」だとも「救われる者も滅びる者もあらかじめ神は予定している」とも決して言いません。かたくなと見えるほどに、古代教会で全教会が確認した教義を、「付け加えることも」「差し引くこともなく」守っています。

教会組織も、ローマ・カトリック教会のようにローマ教皇をリーダーとして全世界の教会がきちんと一枚岩に組織されたものではなく、各地域の独立教会がゆるやかに手を結びあっているにすぎません。しかし強力なリーダーシップがないからと言って、聖書解釈の違いや教会のあり方への理解の違いから無数の教派に分裂してきたプロテスタント諸教会とは異なり、正教信仰と使徒からの教会の姿を各教会がすすんで分かち合うことによって「正教会」としての一致を保ち続けてきました。

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キリストの体(聖体血)を中心にした奉神礼共同体

ビザンティン時代に現在のかたちがほぼ確立した奉神礼(礼拝)には、初代教会の礼拝のかたちと霊性がしっかり保たれています。

中心となるのは聖体礼儀です。これは、神学的な理解や祈りのかたちは異なりますが、カトリック教会でミサ、プロテスタント教会で聖餐式といわれるものにほぼあてはまります。主イイスス・ハリストスの復活を「記憶」する毎日曜(主日)と諸祭日を中心に行われます。

「主が来られる時(再臨)に至るまで(コリント前書11:26)」、「私を記念(記憶)するためこのように行いなさい(ルカ伝22:19)」という教えを守り、主日ごとの聖体礼儀に集い、「主ハリストスの体と血」へと成聖されたパンとぶどう酒(聖体・聖血)を分かちあうことが、教会の基本的なつとめであると理解されています。一つのパンから、また一つの爵(カップ)から聖体聖血を分かち合うことを通じて、信徒はハリストス・神と一つとなると同時に、互いが一つとなり、ハリストスが集められた「新たなる神の民の集い・教会」が確かめられます。

この領聖(聖体拝領)の体験の積み重ねこそ修道士、一般信徒を問わず信徒一人一人の神との交わりへの成長のみなもとであり、そこで受ける神の恵みがなければ、「よい生き方」をめざすどんなまじめな人間的な努力も実を結びません。

しかしどれほど言葉を重ねても正教を完全に説明し尽くすことはできません。正教は人間が頭で考え出した抽象的な「教義」でも、「歴史」でも、宗教「文化」でも、教会組織でもなく、教会生活の中に生きて働くハリストスの復活のいのちそのものです。教義も確立せず、歴史の積み重ねもなく、まして文化としてはまったく未熟で、しっかりした教会組織もなかった時代、そして現代においても、信徒ひとりひとりを生かしているのはこのハリストスの復活のいのちそのものです。いのちは言葉では伝わりません。体験の中からしかつかめず、体験を通じてしか伝えられません。

友に呼びかけたフィリップにならって「来て、見てごらん」(ヨハネ福音1:46)とお呼びかけするほかありません。

ソース:

http://orthodoxjapan.jp/seikyoukai.html

日本正教会 The Orthodox Church in Japan

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キリスト教とは、この聖書の教えに基づいて生きようとした人々の歩みそのものです

Christianity is the walk of the people who tried to live based on the teachings of the Holy Bible

キリスト教とは、この聖書の教えに基づいて生きようとした人々の歩みそのものです。新しい神の民である教会(キリスト信者の共同体)は、それぞれの時代、それぞれの文化・社会の中で、キリストに従って歩もうとしてきました。教会の使命はイエスの使命を受け継ぎ、神と人との交わり・人と人との交わりを取り戻すために働くことです。

キリストの使徒から始まる教会の2000年の歩みという土台なしに今のわたしたちの信仰はありません。この歴史の中で今の教会の祈りや信仰生活のスタイルが生まれ、育ってきましたし、教会の信仰理解も深まってきたのです。

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立つこと

聖体礼儀 Divine Liturgy

正教徒の祈りの姿勢の基本は立つことです。 ハリストスの復活と、その復活を 分自身の ものとして体験するためです。 もちろん、病弱な方・高齢者のためにイスは 少し用意されていますが、小さな子供も、幼い 時から聖堂では立つことをしつけられます。


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聖金口イオアンの聖体礼儀 


Divine Liturgy of St Chrysostom

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信徒の集い

聖体礼儀 Divine Liturgy

信徒は、単にそれぞれの祈りを祈るために、聖堂へ集まるのではありません。ハリストスが お集めになった「神の民の集い」をまさに体験 するために集まるのです。人間が、ハリストス によって孤独な「私」から「私たち」に再創造され たことを…

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祈りに興じる To pray

至聖三者聖セルギイ修道院

2002年2月末から3月始めにかけて、名古屋教会司祭は モスクワ郊外の至聖三者聖セルギイ修道院へ単身研修派遣されました。 教団機関誌「正教時報」に掲載されたレポートをご紹介します。 正教の奉神礼的生活の一端にでも触れていただければ幸いです。

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伝統には誰でも近づくことができます。伝えられてきたものを忠実に再現することは根気さえあれば、いずれ誰にでも可能となります。幼い時から修行に励んでいれば、私だって今頃はいっぱしの職人でしょう。
 しかし芸術にせよ、思想にせよ、生き方にせよ独自の新しい世界を創り出すのは誰にでも可能なことではありません。創造的という悪魔的な言葉にとりつかれ、どれほど多くの人々が人生を空費してしまったことでしょう。
 生きること、そして日々の生活には安定したかたちが必要です。まずそのかたちを生活の律動の中で、共に生きる人々と分かち合うことが、生きることの喜びや楽しさへの誰にでも開かれた入り口です。私たちの不幸はそのかたちを失ってしまったことです。

 二月末から三月始めにかけ十日間、モスクワから数十キロ北にある至聖三者・聖セルギイ大修道院で過ごしました。七百年近い歴史を持つ、つねにロシア正教会の中心にあった修道院です。巡礼者や観光客への活発な対応へのいそがしさという外皮をはぎ取れば、「伝統」といったら他にどこで探せるのかというほど伝統的な暮らしがそこにあります。
 朝の五時半、聖セルギイの不朽体を前にした聖人への感謝祷から始まり、徹夜祷が永眠修道士たちへのリティアで終わる夜八時近く(日曜は徹夜祷が長く九時頃)まで、奉神礼を中心にした生活が毎日厳格に繰り返されます。修道院側から丁重にも立派なゲストルームを提供されたため体験できませんでしたが、おそらく修道士たちの修室でも祈りや労働を中心にした伝統的な生活が規則正しく実践されていることでしょう。鈴の音で始まり、聖人伝の誦読の内に「着々と」進む大食堂での食事にその片鱗をかいま見たと言えるかもしれませんが。
 しかし、そこでは、伝えられたかたちに縛り付けられ、凍り付いてしまった人々は見受
けませんでした。もちろん勝手気ままな無秩序な生活があるのでもありません。伝統やかたちがあるがゆえに人々は逆に解き放たれているとでも申しましょうか。

滞在二日目の日曜、見事な英語を話す修道女で、私のために大修道院内の案内をしてくれたセルゲイア姉に、「これが鐘楼です」とうながされたとき、何の気なしに自分が神学生時代にニコライ堂で鐘を打っていたことを話しました。すると彼女は一人の修道司祭を引っ張ってきて「こんな訳だから夕方の打鐘の際にゲオルギイ神父を鐘楼に案内してやって欲しい」と頼んでくれました。その修道司祭コルニリイ神父は相好をくずして、繰り返し「四時四十五分だよ」と念押ししました。

約束の時間に行くと、すでに鐘楼へ招かれた巡礼者や子供たち十数人に囲まれて、こぼれるような笑顔のコルニリイ神父が待っていました。「こんなよいものを、こんなにたくさんの人たちに見せてあげられて、今日はなんてステキな日なんだろう」と言わんばかりです。手を取り合い、ひげ面で抱き合うや、ただちに出発です。工事中の場所もあり足場も悪い(危険と言った方が正確)階段を、弾むようにのぼっていく神父について、数分かかってようやく鐘楼に着きました。息切れでしばらく声も出ません。すでに若い修道士が大鐘を打って います。眼下には大修道院が隅々まで見下ろせます。大修道院をとりかこむ門前町、人口五万人ほどのセルギエフ・パッサードの市街の向こう側は、森や教会の金色の丸屋根が散見されるだけの大雪原です。そのはるか彼方では、もう灰色の空と雪原との区別はできません。

 もう一人の修道士が時計をちらっと見て、大小の鐘が十数個並んでいる場所に上がり、規則正しい大鐘のテンポに滑り込むように幾つもの鐘を軽やかに奏ではじめました。修道士は大雪原の彼方を見つめながら、胸を張り、両手両足を繰って華やかに、力強く、そして繊細に複雑な響きを打ち鳴らします。その時、私は彼の姿に、伝えられた生活と伝えられた祈りのかたちに「興じる」幸福な人間を見たような気がしました。すぐにその姿は、日本なら「もし事故でもあったら誰が責任をとるんだ」としか誰も考えないような、ブリキの切れっ端や木っ端が散在した鐘楼への階段を、「ここは危ない」「あそこは気をつけて」とにこにこしながら私たちを引率していったコルニリイ神父の姿にも重なりました。さらに身振り手振りよろしく、流ちょうな英語でこの大修道院の聖なる歴史や無数の聖遺物を紹介してくれた、知的でしなやかな、ユーモアあふれるセルゲイヤ姉にもそのイメージはつながっていきました。彼女には修道女という言葉で連想しがちな「思い詰めた敬虔ぶり」など気配にもありませんでした。

修道院での十日間は、このような連綿と伝えられてきた祈りの生活に「興じる」人たちの発見の日々だったとも言えるでしょう。

 鐘楼から大急ぎで向かった、二千人は収容できるかと思われるセルゲイ聖堂ではすでに晩祷が始まっていました。修道士たちは立っていたり座っていたり。誰かが立ち上がれば、他の誰かが座るということもあります。それをいちいち咎める人など一人もいません。
 朗々とスティヒラの句を読み上げる司祭も、それに答えて交互に唱う左右の聖歌隊も「楽しそう」なこと。神学生や神科大学の学生たちに修道士も混じる若さみなぎる聖歌隊です。互いに競い合う様子が手に取るように伝わります。自分たちの部分を元気よく歌い終えると、それを聞いていた向かい側の聖歌隊に向かい「どんなもんだ」とガッツポーズさえ送りかねない張り切りようです。
 宝座への接吻のために至聖所へ入ると、ポリエレイに備えて司祭たちが金色の祭服をまとって待っています。若い司祭たちが挨拶に来て、「こんなよい所へ、遠いところからまあ、よく来たじゃないか」…そう言っているかのように、ぎゅっと手を握り、ガバッと頬を寄せ、ひしと抱きしめてきます。高座の長いすに座っているミトラをかぶった年輩の高位司祭たちは、なにやら楽しげに小声で頷き合いながら、豊かな白い髭をしごいていたりします。恰幅のよい掌院とおぼしき神父が私に目をとめ、歩み寄ってきてロシア語で話しかけました。多分名前を聞かれたのだろうと「ゲオルギイ」と答えると、至聖所の奥からエピタラヒリとフェロンを持ってきて「アチェツ・ゲオルギイ。ポリエレイ(だから祭服を着なさい)」と差し出してくれました。その時のゆったりと包み込むような笑顔にほっとしたこと。やはり相当緊張していましたから。
 そんな至聖所内には、「今日も神さまを美しい祈りで讃えさせていただける」といった、子供っぽいとも言えるナイーブな期待感が溢れています。ここにも伝えられた祈りの生活に「興じる」人たちがいました。

しかしもっと印象的だったのは、ポリエレイを終えて聖所に戻ったときでした。イコノスタスの前に置かれた幾つもの燭台のローソクをうやうやしく世話している初老の修道士がいます。短くなったものを燭台のすぐ下に置いてある箱から長いものに取り替え、となりのローソクの熱で曲がったものは、引き抜いて、冷ましながら、ゆっくり何回かしごき真っ直ぐにのばして差しなおします。それを見ている私の視線に気づいたのか、彼はすっと胸を張り、こちらに顔を向け、口元に何とも言えない誇らかな笑みを浮かべました。次の日も、また次の日も修道院滞在中ずっとそれは変わりませんでした。これまでも、これからも同じでしょう。その誇らかさは、何ごとも上長に絶対服従して、従順に、謙遜に…、といった修道士の紋切り型のイメージでも、下積みの人たちにありがちな「俺はもう何十年この仕事を受け持ってきたんだ」といった押しつけがましいプライドとも違うものでした。やはり、祈りに「興じる」、その無条件のしあわせに自分も与れることへの喜びの表現でしょう。彼の仕事が聖歌隊やまして聖職者たちの華やかな仕事ではなかったのでなおさら、彼の誇らかさは、正教会が祈りを「奉神礼」、ギリシャ語でリトゥルギア、すなわち神の民の「仕事」と呼ぶ意味を実感させてくれるものでした。そういえば、四時間近く十字を切り叩拝する以外にはほとんど同じ場所で立ちつくすばかりの千人以上の会衆も、たとえ肉体は苦痛でも心では、仕事の一翼を担う者として「正教会の伝える『立って祈る』というかたち」に「興じて」いるのではないか、そんな思いすら浮かびました。

 例をあげればきりがありませんが、祈りに興じる人たちを他にもたくさん発見しました。奉神礼の場だけではなく、そこでは生活全体が祈りへの備えとして「祈りの生活」です。この大修道院全体が、祈りに、すなわち生活に興じているといってもよいでしょう。
 しかし、この発見は大修道院だけでのことではありませんでした。大修道院を辞して二日後、帰国の日の朝、モスクワの友人が通う教会の聖体礼儀に与りましたがも、そこにも祈りに興じる人たちがあふれていました。古い聖堂の修復作業に信徒が何年も協力を続けているという、内部に足場を組んだままのこの小さな教会も、やはり祈りに興じていました。

 しかし私は、「やっぱりロシアは…」と言いたくてこんなことを申し上げているのではないのです。
 帰国して三日目、充分に疲れが取れないままに立った名古屋教会の聖体礼儀、ここにもはやり「祈りに興じる」なつかしい仲間たちがあふれていました。尋ねてきた人が、なんと教会の門前から「道に迷ってしまいました」と携帯をかけてきたことがあるほどのつつましい会堂です。しかし、信徒全員が無事領聖した後、ポティールを掲げて堂内を見渡したとき、堂内全体が喜びで輝いていました。大修道院の聖体礼儀にあった喜び、モスクワの町の教会にあった同じ喜びが、ここにもありました。これまでにもあったし、これからもあり続けるでしょう。

おそらく日本中の正教会で、小さな教会でも大きな教会でも、正教徒なら誰でも知っている、神さまの前に子供らしいキマジメさで奉神礼を献げさせていただける、言いかえれば祈りに興じさせていただける喜びがあふれているはずです。伝統的な正教国の教会にも、伝道教区の小さな集いにも、世界中の正教会に日曜日を待ち望む人たちの日曜日に向けた生活がいきづいているはずです。
 これこそハリストスを愛しその尊体血を分かち合う人々の集いに溢れている聖神が、私たちに贈ってくれる至福です。寒風吹き抜ける鐘楼でコルニリイ神父が、暗い聖堂内でローソク係の修道士が、あらためて、またハッキリと確かめさせてくれた至福です。


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